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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

藤枝静男のひたむきさ。

連れ合いが少し体調を崩したので、手間のかかる料理をのんびりと作りながら、藤枝静男の随筆をいくつか読んで静かに暮らした。

《私はその日に買った道具屋で気に入った朝鮮民画の花鳥を持ってたずねた。「つまらないね」といわれるかも知れないが、しかし案外「面白い」と褒められるかも知れないという期待もあった。一番いずつの緑色のインコと雀らしい小鳥とが描かれていて、私はそれをめでたい図柄と思い、志賀さんご夫妻の長生を心の中で祝うという気持ちもあった。もし一言でも「いいね」とでももらされたら置いて帰りたいと考えていた。(「志賀さんのこと」藤枝静男 著/『志賀直哉天皇中野重治』2011年 講談社文芸文庫)》

藤枝静男というと、甘えた部分のない硬質な私小説を書くひとという印象があったのだけれど、随筆を読んでみたら意外とお茶目でしたしみがもてた。
随筆のなかで彼は天真爛漫な子どもみたいなことを云ったり、実際にやったりもするのだけれど、ふしぎと多少いやな顔をされる程度ですんでしまう。師と仰ぐ志賀直哉とのあいだにも、それは無邪気というよりも無神経だろうともおもえるようなやり取りが多々あるのだけれど、師の最期のときまでいい関係を保ちつづけている。上に引いた文章を読んでもわかるとおり、無神経なだけのひとかとおもえば、こんな奥ゆかしくてかわいい部分もあったりする。読み進めていくと、いい年こいて「褒められたい」と真剣におもっている藤枝静雄というひとが、いとおしくてたまらなくなってくる。

《しかし、いざこの世からなくなられてその亡骸と対面して帰った今となってみれば、結局弟子にとって先生というものは、目が見えなくても口がきけなくても、ただ呼吸さえしてくれればそれでいいのだという思いに迫られるばかりである。》

これほどまでに敬慕していたにもかかわらず、藤枝静雄は最期の最後まで志賀直哉のことを「先生」と呼べずに終わってしまった。四〇余年ものあいだ、心の中でずっと自分は弟子なのだとおもいつづけてきたのに、それを口に出したら嫌がられると考え、ついに最期まで「先生」と呼べないその切なさを想像すると、自然と涙がでてくる。また、そういう藤枝静雄の心もちがぼくには痛いほどよくわかる。敬慕する人物に「尊敬しています」ということはできても、「先生」と呼ぶのは口幅ったい。先生から身の程知らずなやつだとおもわれたくはないし、嫌がられたくもないので、心の中だけでそうっとおもうだけにしておく。独りひっそりと苦しいそういう気持ち、よくわかる。

《だいぶ前から私小説はまるで日本文学の発達を阻害する毒虫か国賊みたいなあつかいを受け、「もう息の根は止まった」などと書かれて、腹のなかでは何糞と思いながら、雑誌のうえでは肩身のせまい思いをしつづけている。一方では水ぶくれの冬瓜か子供のシンコ細工みたいな「近代的長編小説」を作る人が好い気になって甘やかされている。なかには感服する作もあるけれど、たいがいはサトリの悪い女大学生向きのものである。だいいち小説を書くうえに不可欠な精神の衝迫がない。自分が何故その小説を書かねばならなかったかという精神の気組みがまるで感じられない。自分に必要のない小説を他人におしつけるのはよくないと思う。(「私小説家の不平」藤枝静男 著/『寓目愚談』1972年 講談社)》

先に引用した随筆を読んでからこの文章を読むと、藤枝静男というひとがもっとよく見えてくるような気がする。自分の信じるもの、尊ぶものに対するこのひたむきなまでの姿勢こそが、たぶんこのひとの真骨頂なのだろう。「腹のなかでは何糞と思いながら、雑誌のうえでは肩身のせまい思いを…」「…たいがいはサトリの悪い女大学生向きのものである」などと、ちょっと愚痴っぽくって湿っぽいことが書かれているにもかかわらず、読後にはなんだかさっぱりとした印象だけが残る。それは、ひたむきで天真爛漫な彼の魅力によるところが大きいのだろう。


引用が多くて少し長くなってしまったけれど、藤枝静男の書いたものをもっと読み、このひとの遺したものをもっともっとたくさん取り込むということが、今の自分にとってなにかとても大切なことのような気がしている。信じるもの、尊ぶものに対するひたむきさ、流されず大切にしていきたい。

志賀直哉・天皇・中野重治 (講談社文芸文庫)

志賀直哉・天皇・中野重治 (講談社文芸文庫)