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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

ファスナー。

ミスチルの歌にもあるけれど、ウルトラマンのそれのように、ひとの背中にはファスナーが付いていて、どこか奥のほうで見たり感じたりしているもう一人の自分がいるんじゃないかと、ずっとおもっていた。


子どものころ、情意作用というのは自分とそのなかに住んでいるもう一人の自分とでシェアしている意識だとおもっていた。目の前に手をもっていたときに見えるその掌の持ち主と、それを見たり感じたりしているもう一人の自分とが同一人物であるのかどうか、安易に結論を出す自信がなかった。たとえば他人に対してもそうで、なんらかのやり取りをしていて、ある日とつぜんまったく別人みたいな振る舞いをされたとき、それは目の前のそのひとの考えなのかファスナーの奥にいるひとの考えなのか、いったいどっちなんだろうと訝しんだ。うまくいえないけれど、なかに入っている、という感覚が漠然とあった。


下ろしたファスナーの奥にいる自分を想像してみるけれど、あまりいい奴だとはおもえない。やさしいとき、まっくろなとき、まえむきなとき、なげやりなとき、いろんなキモチの自分がいて、いろんなキモチの他人がいる。そのどれもが人間のもつイチメンなんだよ、なんて割り切って考えられるほどそれは簡単なことではなくて、日の終わりに振り返って落ち込むというのも少なくない。それ自体も青臭いなとおもって、また萎える。


このはなし、むかしはよくしていたのだけれど、ついぞ共感を得たことがなかったのでいつしかやめていた。それからは自分のなかだけでひっそりとおもうようにしていたのだけれど、あるときミスチルの「ファスナー」という歌がラジオから流れてきたのを聴いて、鳥肌が立つくらいに興奮し、涙が出そうなほどに感激したのを憶えている。

きっと仮面ライダーのそれのように
僕の背中にもファスナーが付いていて
何処か心の奥の暗い場所で
目を腫らして大声で泣きじゃくってるのかも
Mr.Children「ファスナー」/『IT'S A WONDERFUL WORLD』2002年 トイズファクトリー

この歌をなんどもなんども聴き返していておもったのは、ファスナーそのものを愛せるように努力したらいいのかな、ということ。自分と他人しかいないこの世の中にあって、そのいずれかの誰かだけが主であるということはないはず。ファスナーという、ある意味での境界線に敬意をもち、目の前にあるものもその奥にあるものもどちらも信じられればそれがいい。そういうイチメンもある、ではなくて、それすらも愛する、そういう努力が大切なのだとおもえるようになった。


惜しみない敬意と愛を込めてファスナーを。