読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

プロの仕事。

ぼくの職場には、よく研修生さんたちがくる。研修を終えた彼らの反省会をするとき、ぼくは必ず「プロとアマの違い」について訊ねてみる。人によって「プロ」についての捉え方はまちまちだけれど、その答えの多くをまとめてみると大体こんなふうになる。「要求されたことに対して、確実に責任を果たすことができる」それこそがプロの仕事である、と。


どんな仕事でも、ある一定のスキルを身につけることができれば、程度の差こそあれそれなりにこなすことはできるようになる。くり返しになるけれど、一定の環境下で経験して身につけた技術や知識があれば、素人には困難で手間のかかる事柄であってもうまく処理することができるようになる。そのように一定のスキルを身につけ高精度に仕事をこなすことができれば、それはもうプロフェッショナルということになるのだろうか。その一方で、それを生業としてはいないけれど一定の基準を満たすことができ、尚且つ手際よくこなせるという人もいる。両者がまったく同じスキルをもちあわせているとき、その最後の差となるのは研修生さんたちがいうように、「要求されたことに対して、確実に責任を果たすことができる」という部分になってくるのだろう。相手の利害を最優先に考え、交わした契約を滞りなく履行する。まったく正しい。だけど、なにかが引っかかる。

《……将棋界の四人の最高知性、羽生善治名人、佐藤康光棋王深浦康市王位、渡辺明竜王と過ごした時間があまりにも豊穣だったため、私は期せずして「超一流とは何か」を考え続けることになった。(中略)私は、異なった個性を持つ四人から、「対象(将棋)への愛情の深さゆえの没頭」という共通の基盤の上に、それぞれ独特の「際立った個性」が加味されてこそ、「超一流」への壁が超えられるのだと学んだ。》(「対談 羽生善治×梅田望夫 2009」梅田望夫 著/『羽生善治と現代』2013年 中央公論新社

上に引いたのは、IT企業経営コンサルタント会社の社長である(将棋好きが高じてリアルタイム・ネット観戦記を書いたりもしている)梅田望夫さんの著書からの一文。ここでいう超一流というのは、文字どおり一流を超えた更なる高みに上がることを指すのだけれど、著者の考えたこの高みに上がるための方程式というのがおもしろい。それによれば、「超一流=才能×対象への深い愛情ゆえの没頭×際立った個性」ということになるらしい。たしかにあらゆる分野のスーパースターといわれる人たちを見ていると、この方程式がぴったり当てはまっているようにおもえる。一つでも欠けていたら、一流にはなれても超一流にはなれないだろうと想像がつく。


……それにしても気になるのは、「際立った個性」というところ。著者はこの「際立った個性」について、「その強さが最後の最後の紙一重の差を作り出す源」になるといっているのだけれど、ぼくのなかで引っかかっていたのもその「差を作り出す源」の部分にあるような気がしている。少し整理してみると、プロはプロである以上、その精度や質を維持したり上げていくことに努力しつづけなくてはならない。たとえばその努力は「散歩すること」であってもいいし、「英会話をマスターすること」であってもいい。その職業やその人なりの力の入れ方があるとおもうので、そのための手段はなんだっていいのだ。しかし、それだけではつけることのできない「差」というものもあるとおもう。その差というのは、他人と比べて自分が秀でているかどうかという差ではなく、「プロとしての誇り」みたいなものに当たるのだとおもう。プロとしての自分に差をつけることで、より良い仕事をするということにもつながり、それは結果として自分や他の誰かを喜ばせることにもつながっていく。その決定的な差を作り出すものこそが「際立った個性」であり、つまりは人間としての面白味こそがプロとしての完成度をより高めていくということになるのではないだろうか。


少し視点は変わって…現代ではプロフェッショナルな仕事をするコンピュータが、あらゆる分野で活躍をしている。将棋の世界でさえも、トッププロの棋士がコンピュータに負けてしまうような時代なのだ。しかし、コンピュータがいくらプロ並みに、いや、プロ以上にプロフェッショナルな仕事をしたとしても、「プロのコンピュータ」とは呼ばないし、呼びたくない。これからの、人とコンピュータが今以上に共存して生きていかなくてはならなくなる時代に必要となるのは、コンピュータのような人間ではなく、面白味のある人間としての圧倒的な個性の差、なのだとおもう。


仕事について考えることは、人生について考えることでもある。生活の営みのなかで(広い意味での)プロになることをあきらめてしまうというのは、人生のうちの大事な一部分も一緒にあきらめてしまうことになるような気がする。プロとしての腕を磨くことで、自分自身をもっと磨いていきたい。のんびりね。