2013-01-01から1年間の記事一覧
性格は顔に出る、生活は体型に出る、本音は仕草に出る、感情は声に出る、センスは服に出る、美意識は爪に出る、清潔感は髪に出る、落ち着きのなさは足に出る。 だれが考えたのだか知らないけれど、これは言い得て妙だなあとおもう。ふと気をゆるめた隙に、内…
たいてい週末は家族と一緒に近所のスーパーマーケットへ行く。ここには大きめの書店が入っているので、買い物の前か後にはそこで本を立ち読みすることが多い、というかそのために行くようなところもある。今日もそこで気になる本を見つけ、しばし時間を忘れ…
数ヶ月前、近所のブックオフで「小林秀雄全作品1 様々なる意匠」を見つけ、行くたびに買おうかどうかと迷っていたのだけれど、没後三十年特集などを読んでいたら無性に欲しくなってきた。さて、いざ買おうと決心してお店に行ってみると、いつもあったはずの…
興味さえあれば古い新しいにかかわらずどんな本でも買って読むのだけれど、小説に関しては古本で買うことのほうが多い。それは古本でしか買うことのできない本であったり、その時代のよさを感じられるような本が欲しかったりするからなのだけれど、あまり最…
好不調の波みたいなものがあるのだとすれば、最近は絶不調であるような気がする。体調のことではなく、また特別なにがどうこうというわけでもなく、全体的になんとなく低調気味といった感じ。どちらかというと、年が明けてから心機一転いい調子だっただけに…
ここ一週間ほどひどく体調がわるく、本を読むことさえもままならないような日が二日ほど続いた。病院に行っていくつかのつらい検査をしてきたのだけれど、とりあえず大事に至るようなことはないらしく、安堵した。どうなったっていいようなものだけれど、子…
友人が最愛の奥さんを失くした。亡くなった奥さんは、ぼくの友人でもあった。子どももまだ小さく、これからというときなのに、彼女は憎き病魔に冒されこの世を去った。なんでわたしが、といって泣き崩れる彼女を支える友人もまた、よりによってなんでうちが…
ここのところ、写真を撮ることに凝っている。 ファインダー越しに世界を覗くと、すべてのことは過去になっていくものなのだと、リアルに感じることができる。さっきまでここにあったはずの現在(いま)はもうどこにもなくて、まるで車窓から眺める景色のよう…
狂ったように古本ばかりを買い漁っていた時期があったけれど、ここのところはそれもずいぶんと落ち着いてきた。狂ったように、というのは文字通り狂っているとしか思えないような行動のことを意味し、ここに書くことも憚られるくらい古本屋に通いつめていた…
ぼくは「話す」ということが苦手だ。誰かにこれを伝えたい、と思うことは多々あるのだけれど、それを話して伝えるとなるとたちまち萎んでしまう。 話すことで言葉を放してしまうと、放された言葉たちがカタチにならずに空中を彷徨っているイメージが頭に浮か…
このブログを書きはじめて、ちょうど2年になる。 何事においても飽きっぽいはずの自分が2年間もこうして続けられているというのは、やっぱり好きだからなのだろうとおもう。読むこと、書くこと、それらが目に見えるカタチでたまっていくということが。読み…
ここのところ、一日がひどく長く感じられる。 ついこのあいだまでは一日があっというまに終わってしまい、ひどく短く感じられていたのに。といっても、時間の流れが遅遅として進まないから退屈している、というわけではない。たっぷりと時間があるので、仕事…
一方的な身勝手さで10年以上連絡をとっていなかった親友と再会した。 そのきっかけは途轍もなく切ないものだったのだけれど、しかしそうでなければ再会はなかったかもしれないとも思い、筆紙に尽くし難い複雑な心もちになる。 正直なところ、10年という…
雪雲に覆われた暗澹たる思いに雪は降り積もり、追い討ちをかけるかの如く白銀の煌めきと静寂が世界を奪う。そんな数年ぶりの大雪に、ひねもすのたりと本が読みたくなった。きっと本が好きなひとにならわかってもらえるとおもうのだけれど、しんしんと降り積…
まだ正月気分がぬけきらず、どこか気持ちが浮ついている。昔から場面のスイッチをするのがヘタクソで、そのせいか周囲からとりのこされてしまうことがしばしばあった。それでも子どもの頃はまだよかったのだけれど、社会人となった今はいつまでもそんなこと…
今年の正月は、ひたすらダラケた。まあ、毎年といえば毎年なのだけれど、朝から呑んで、食べて、映画をみて、本を読んで、音楽を聴いた。子どもたちは犬のように外を駆け回り、ぼくと連れ合いは猫のようにコタツでまるくなっていた。 正月の読書は、スポーツ…