ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

九勝六敗。

 きょうは休日出勤をしたあとで、午後から末っ子さんとぶらぶら散歩をした。彼女と散歩をしていると、普段なら全く気にもとめないような、見過ごしてしまいがちな小さなあれこれにピントが合わせられる。それは、土筆であったり、かたちのよい石であったり、たんぽぽの綿毛であったり、すべすべした枝であったり、てんとう虫のカップルであったりする。それらをしあわせそうに見つめる彼女につられて、ぼくもいちいちしあわせを感じてしまう。そうか、もう春なんだよなあ、そんな当たり前なことすらも、なんだかとてもうれしかった。夕方からは連れ合いと選挙に行き、晩飯の買い物をしてから酒を飲み、少しだけ本を読んだ。

 買ってからずっと積みっぱなしになっていた、伊集院静の「無頼のススメ」をパラパラと読んだ。あいかわらずな感じがとてもいい。好き嫌いのはっきり分かれるこの作家の書くものは、この作家が書いたものだから、とおもって読むようにしている。バーボンはスコッチではなく、あくまでもバーボンなのだから。

色川さんには、「ギャンブルは九勝六敗を狙え」という有名な言葉があって、その裏には、ギャンブルに逆転勝はまずありえないという意味がこめられています。(中略)ギャンブルでも何でも人それぞれ違いますが、自分のフォームをしっかり作らないかぎり、勝負事には勝てません。自分のフォームとは、不意に空から落ちてくるものでもなければ、誰かが与えてくれるものでもない。失敗を繰り返し、人に笑われたり、あきれられたりしながら少しずつ自分でこしらえていくしかないものです。(『無頼のススメ』伊集院静 著/「自分のフォームで流れを読む」2015年1月 新潮社)

 「九勝六敗を狙え」は、色川武大の「うらおもて人生録」(1987年11月 新潮社)にも出てくる有名な言葉だけれど、著者の言葉も加えられたこの言葉を改めて読み返してみて、 たしかにそのとおりかもしれないなと、しばらく考えてしまった。

 これを人生(仕事)に置き換えてみるとき、もちろんそれはギャンブルではないし、勝ち負けでもないのだけれど、失敗を繰り返し、人に笑われたり、あきれられたりしながら少しずつ自分でこしらえていくもの、というのは当てはまるのではないかとおもう。けっきょくのところ、自分のフォーム(ぼくはロックと呼んでいる)はあっても、こしらえ続けていく強さ(ぼくはロールと呼んでいる)をもたなくては、人生というか、自分自身に勝つことはできない。失敗と挫折を繰り返したとしても、へこたれずにロックンロールし続けていけば、ロックを先行させてロールし続けられたとしたら、次の勝機だって見えてくるものなのかもしれない。

 いつなにが起こるかわからない一回こっきりの人生のなかで、じぶんのロックを見失ってしまったら、その先はない。目の前で起こったことだけに一喜一憂していては、たしかにそこにあったはずのロックは霞んでしまう。運や流れもあるけれど、ロールし続けていく強さを磨くことこそが最大の武器になるのだと、最近そうおもっている。それは「今を生きる」ということであり、その今を知るための努力を惜しまないということが、強さを磨くということになるのだとおもう。

 その結果が九勝六敗だったとすれば、それは文句なしの人生だったといえるのではないだろうか。いや、そうでありたい。

無頼のススメ (新潮新書)

無頼のススメ (新潮新書)

 

 

東京ベンチと今のこと。

 いまさらな話になってしまうけれど、東京ベンチの閉店について少し書いておきたいとおもう。お会いした方や身近な人には話してきたのだけれど、それをどこでどう伝えるべきなのかよくわからなかったし、その勇気もなかったので等閑になっていたから。でも、少なくとも、今、ここにはそれを書いておくべきだろうとおもう。

 細かい事情については公にするようなことでもないので書かないけれど、閉店に至った一番の大きなその理由は、「今、必要とされてはいない場所だった」ということになるのだろう。

 東京ベンチというのは、昨年の7月にオープンしたお年寄りのデイサービスとコミュニティカフェを融合させたサードプレイスのこと。諸事情によりたった3ヶ月のあいだしか運営できなかったのだけれど、失望し、失望させ、失敗という圧力に押しつぶされそうになりながらも、ここでは本当に多くのことを学んだ。経営的なこと、介護保険業界の現実、目の前で本当にサービスを必要としている人の事情、人とのつながり、今やるべきことなど。

 失敗は成功の素とよくいうけれど、失敗ばかりのぼくの人生に、はたして成功があるのかどうか、よくわからない。わからないけれど、過去を振り返っていつまでも後悔していたって何も始まらないので、反省を生かしながら前を向いて進むしかないとおもっている。かといって、これまでのように取り越し苦労をしながら先のことばかり考えていても暗くなるだけだ。だから、最近は「今を生きる」しかないなとおもうようになった。けっきょくのところ、今が見えていなければ先もない、これも今更ながら、やっとそのことに気づいた。

 いつも同じことばかり書いてしまうけれど、とにかく考えるということが何よりも大切で、考えすぎということはないのかもしれない。もちろん、悪いほうへばかり考えてしまうのはよくないけれど、今を考えるための材料を懸命に探したり読んだりしながら、それを元に深く考えつづけるという作業だけが、じぶんを前に進めてくれるのだとおもう。

 東京ベンチのことは本当に残念だったけれど、今を生きながらしっかりと考えて、必要としてくれる人のためのベンチを、じぶんにとってもかけがえのないベンチを、もういちど改めてはじめたい。たとえカタチは変わっても。

 そのための「今」はもうはじまっている。

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多謝。

 新規事業の立上げも含め、あれこれ考えなくてはいけないことが多すぎて、ここのところあまり本が読めていない。読めても、短くて平易なものをつまむようにして、というのが精一杯。時間がないわけではないのだけれど(時間がなくても読書はするので)、なんとなく気持ちに余裕がもてない。同じようなことを過去にも何度か書いた記憶があるので、人生のうちにはそういう時期が幾度となく用意されているものなのかもしれない。

 さて、いつもならここから本のことを書きはじめるのだけれど(書こうとおもって書きはじめたのだけれど)、今回はどうにも気になって仕方がないことがあるのでそのことを。

 先にも書いた新規事業のことで、ぼくは親しくさせていただいている方たちに、直接だったり間接的だったり、いろいろな形で支援の協力をお願いしている。それなのにこんなことをいうのは矛盾するのかもしれないけれど、ぼくはDJ心(ひとになにかを伝えたい気持ちのこと)が人一倍旺盛なくせに、営業やビジネス的な支援協力をお願いしたりするのが大の苦手なのだ。なぜかといえば、一つに社会人としてのマナーみたいなものが著しく欠如しているのだとおもう。一つに普段は図々しいくせに、肝心なところで気後れしてしまうから。一つに情熱とロックンロールはあるものの、人見知りでじぶんに自信がないから。そして何より、気を遣うのも遣われるのもイヤだから。はっきりいって、どうしようもない。どうしようもない人だということは、とっくにじぶんでもわかっている。じぶんのやっていることが確かなことだとおもえれば違うのかもしれないけれど、そもそもそういう確かさみたいなものを持ち合わせたことがない。そんなぼくがこうした仕事を選んで携わっているというのは、いったいどうしてなのだろう。時おりわからなくなる。

 なんでわざわざそんなことをここに書くのかといえば、ひょっとしたら、ぼくはとても失礼なことをしているのではないかと気になってきたのだ。確かめる術も常識もないので、もし唐突にご連絡させていただいたことで不快なおもいをさせてしまった方がいらっしゃいましたら、本当にごめんなさい。心よりお詫び申し上げます。

 そんな申し訳なさと同時に、深い感謝の気持ちがたくさん生まれたことも書いておきたい。

 先日、ひさしぶりの友人たちと酒を飲んだ。ひさしぶりの大切なその席で、ぼくは相変わらずの熱弁をくだくだしくふるってしまった。そんな空気の読めないぼくの言葉に、彼らはちゃんと耳を傾けてくれた。それだけでなく、重い本をわざわざ持ってきて、さり気なく差し出してくれた友人、その翌日「本を送ったから」とメールをくれた友人、遠く離れたところに住む友人や活動に興味をもってくれた方々から届くメッセージと本の山、クラウドファンディングを通しての支援。

 今さらながら、ひとの優しさや大切さを改めて感じている。じぶんだったら同じことができただろうか、どうやってその気持ちに応えていけばよいのか、自問自答と深い感謝の毎日を過ごしている。

 いただいたご支援を必ずカタチにできるように、この先もずっと走り続けていきたい。お金はリアルな体力でもあるので、結果によっては出遅れや休み休みな走り方になってしまうかもしれないけれど、それでもゴールに向かって走り続けようとはおもっている。

 息切れしたとき、ぼくはきっとこの数日間のことを思い出すだろうとおもう。多謝。

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ちいさな街のつなぎの場。

 現在、REDY FORで「障がい者の就労・自立支援、つなぎの場として古本屋を開きたい!」と題したクラウドファンディングを開始しました。

https://readyfor.jp/projects/koshoshi-scrum

  ちょっと長くなるけれど、あいおい文庫にはじまり、東京ベンチを経て(ぜったい復活させる!)、ぼくのいまやろうとしていることについてまとめてみました。もし共感していただけるなら、ぜひ力を貸してください。

  いま、ぼくは就労継続支援B型事業所「古書肆スクラム」というところで所長をしている。ここでは、障がいのある方が自立した社会生活を営むことが出来るよう、就労機会の提供や生活面での支援、彼らの居場所づくりのための活動などを行っている。

  ぼくは特に立派な名目もないままにこの仕事をはじめたのだけれど、学生時代からの関わりを含めると、福祉と共に歩んでもう20年以上になる。この20年間で感じたことは、彼らの「生きづらさ=居場所のなさ」というもの。子育て中の親、高齢者、障がい者、仕事や社会生活に悩む若者、性の問題、貧困、その他様々な社会生活上の困難を抱えて生きる方たちにとって、周囲の理解の乏しさや風当たりは決して小さな問題ではない。小さな子どもを連れて出かけるお母さん、車椅子や歩行器を使って移動する方、障がいや病気などによって周囲とのコミュニケーションがうまく築けない方たちの多くが、心ない人たちの視線に臆し、行く先々で様々な不便や不安を抱えなくてはならないという社会的な困難さに直面している。このことは東京ベンチでも目の当たりにしていて、そのときの衝撃がいまにつながっているといってもいい。

  近年、盛んにバリアフリーが叫ばれているけれど、本当に必要なことは、道の段差を小さくする以上に(もちろんそれも大切なことだけれど)、「人の気付きと理解、そして差し延べられるリアルな手」なのだとおもう。

   ちいさくてもいいから、その生きづらさを少しずつでも変えていくことのできるような居場所をつくりたい。ここなら安心して足を運ぶことができる、ここからなら出発も再出発もできそう、そうおもってもらえるような、誰にとっても居心地のよい場所を街の中につくりたい。そんな場所の中で、人と人とが出会い、人とのつながりの中で気付いていく。その気付きこそが何かを理解し、じぶんに出来ることは何かと考えるための第一歩に変わっていくのではないだろうかと。

   いつもそうなのだけれど、現状の仕組みに甘んじた活動ではなく、もう一歩踏み込んだところでの「居場所づくり」というものを早急につくっていかなくては、どうにも変わらないとおもう。とくべつ奇抜なことがしたいというわけではないのだけれど、現状のままではどうしても窮屈になってしまうし、パンクしてしまう。だから、単に生きづらさを抱える人たちを一定のところだけで支えるという従来のスタイルではなく、本当の意味でのコミュニティとして、障がいのある人もない人も、貧富の差も越えて、老若男女だれもが街のなかで気付きあい、自然に手を差し延べられるような小さなつなぎの場というものをここでつくっていきたい。基本的には、東京ベンチでやろうとしていたことと、なんら変わりはないのだけれど。

 現在、REDYFORで「障がい者の就労・自立支援、つなぎの場として古本屋を開きたい!」と題したクラウドファンディングを開始しました。

詳細はコチラ⇒ https://readyfor.jp/projects/koshoshi-scrum

 「REDY FOR(クラウドファンディング)」とは、インターネットを介して不特定多数の個人から資金(支援金)を集めるサービスのことです。一気にものすごい額をお願いするというのではなく、できるだけ多くの方に共感していただき、小額な支援を少しずつ募ることで、大きな力に変えていくという仕組みです。

 支援金の募集期間内に、立てた目標金額を達成できなければ、せっかく支援金が集まっていても0円になってしまうという、オール・オア・ナッシングな仕組みです。(プロジェクト失敗の場合は、資金提供してくださった方のもとにお金は戻ります)

  今回、私たちは「障がい者の就労・自立支援、社会の中で生きにくさを抱える方たちをサポートする場所づくり」というプロジェクトを行い、30日間(4月29日11時で終了)で60万円以上集めなければ、プロジェクトが不成立として終わってしまいます。ぜひ、皆様にご支援・拡散していただけたら大変幸いです。

 ドラゴンボールの元気玉ではありませんが、皆様の元気を、ちょっとずつ私たちにわけてはいただけないでしょうか。そのちょっとずつが集まれば大きな元気となり、目の前の困難さをやっつけるための大きな力となります。
 まだ発展途上ですが、どうかよろしくお願い致します。力を貸してください!このプロジェクトの最終目標は、街のみんなにとってのサードプレイスとして、この場所が在りつづけることです。

支援ページ⇒ https://readyfor.jp/projects/koshoshi-scrum

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洲之内徹と救済。

 感冒のせいで、ひどく咳がでる。だいぶん落ちついてきたとおもったら、またひどくなった。咳はつかれる。頭にもひびくし、あちこちの筋肉にもひびく。まさに全力疾走といった感じで、くたくたになる。こういうときは、おとなしく家で本でも読んで、ごろごろしているのがいちばんだ。

 先日、木下晋画文集「祈りの心」(2012年3月 求龍堂)を知人から譲り受けたので、半日くらい横になってずっと眺めていた。ものすごくインパクトのある絵なので、どこかで目にしたことがあったはずだと思いだし、しばらく書棚をガサゴソしたあと洲之内徹の美術随想に行き着いた。

 殆どあっという間の短い時間の出来事ではあったが、それを私は、ベンチに腰を降ろしたまま、黙って見ていたのだ。というよりも、一瞬、私は目をそらしたような気さえする。その私を、私は赦すことができない。 

 しかし、あれが私のなのである。しかも、あのときだけでなく、いつも私はそうなのだ。昔からそうだったし、いまもきっとそうだ。咄嗟の間にはそうなるにきまっている。私はいつもあのときの私と変わらない。それが私にはよくわかっている。人間というものはなどと大きなことを言う気はないが、躰じゅうそういう記憶でいっぱい詰まっている私というこの人間は、もうどうしようもないのである。《「凝視と放心」/洲之内徹 著『帰りたい風景』1980年11月 新潮社》

 木下晋の絵のなかの顔は、なにかをじっと凝視している。みているこちらは、その顔が見詰める、その先がだんだん気になり、そら怖ろしくなってくる。上に引いたのは、そんな見るものが感じる怖ろしさから、著者が自らの来し方を振り返り、人間が自らの生存に対して抱かされる恐怖について考えを巡らせるところである。

 著者は四国の松山で古本屋をしていたころ、その商売がうまくいかず、ひどく貧乏をしていた。わけあって奥さんと気まずくなった空気のなか川縁を歩いていると、そこにまだ真新しい子どもの下駄が一足ぬいであった。それが捨ててあるのではないとわかってはいたが、しばらく躊躇ってから奥さんはその下駄を拾って歩きだす。駅へ行って汽車を待っていると、そこへ農家のかみさんらしい女が駆け込んできて、ひどい剣幕で奥さんを罵り、恥のために立ち竦んだ奥さんの手から下駄を奪い返して去っていく。そのときただ傍観していただけの自分を、著者はずっと赦せずにいる。

 人にじぶんを見透かされるのはいやだし、怖い。だから人は、あえていろいろなカタチで武装してみせるのだけれど、芸術というのもそのひとつのあらわれなのだろうとおもう。もっといえば、そういう脅えがあるからこそ、ある種の力とそこからの救いが得られるものなのかもしれない。著者もじぶんのなかに巣食う記憶に脅え、もうどうしようもない、というところから思考をはじめる。そこから捻りだされるものは、とても深く、鋭く、心におちる。

 生存に対する幻滅なしには、真の芸術への希求もない。恐怖が救済を約束する。美以外に人間をペシミズムの泥沼から救ってくれるものはない(「凝視と放心」/『帰りたい風景』)

 ぼくにも、ここに書くのも憚られるような、ぼくが、ぼくを赦すことのできない記憶が躰じゅうに詰まっている。これはもう、どうしようもない。そういうじぶんと向き合い、時に逃げたりしながら幻滅し、日常についての些末なことを考え、想像する。ぼくは芸術家ではないけれど、そうして考えることによって次のなにかを希求し、そこへ向かって突き進もうとすることでどこか救われているような気がする。真に生きようとすることも、真の芸術を希求しようとするそれも、つまるところは同じなのではないだろうか。

 すばらしい本に出合うことも、また救いである。

帰りたい風景―気まぐれ美術館

帰りたい風景―気まぐれ美術館

 

 

ストーナー。

 ふと振り返って人生について考えてみるとき、仕事と恋愛の占める割合、その比重がじぶんにとって決して小さくないことに気づく。それが溺レルほど夢中になって向き合うような対象であればあるほど、比重はどんどん増大する。

 柄にもないことを云うようだけれど、つまりは何かに対して深い愛をもつことが、みずからの人生に意味を見出す、ということにつながっているのではないかとおもうのだ。

 仕事も恋愛も、その対象に深い愛をもつようになると、より理解し、より学ぼうとおもうようになる。じぶんを高めるためのよい機会にもなるのだけれど、そこには深く愛しすぎるがゆえにじぶんを見失ってしまうというコワさもある。じぶんを見失うほどに没頭することで、じぶんの力を知り、じぶんが何者であるのかを覚る機会にもなるのだけれど、残念なことに、それはたいていずっと後になってから、というほうが多いような気がする。

若さのきわみにあるころ、ストーナーは恋愛を、幸運な者だけがそこへ至る道筋を見つけることができる究極の状態だと考えていたが、成人に達してからは、それは邪教の天国であり、おもしろ半分の不信心と、温かくなじみ深い軽蔑と、気恥ずかしい郷愁のまなざしで眺めるべきものだと思うようになった。中年を迎えた今は、それが単なる恩寵ではなく、幻想でもないことがわかってきた。それは、人間としての生成の営み、刻一刻、日一日、意志と知力と心性によって生み出され、更新されていくひとつの条件なのだった。(ジョン・ウィリアムズ 著/東江一紀 訳『ストーナー』 2014年9月 作品社)

 平凡な大学教師として生きるストーナーの平凡な人生について書かれたこの物語を読むと、不思議なくらい静かな気持になる。胸のうちがざわざわするような出来事が次々と起こっているにも関わらず、とても穏やかで静かな気持になる。主人公に据えられたストーナーの人生が、まるでじぶんのことのように静かに沁みいる。

 そんな静けさのなかにも、やはり痛みはある。ストーナーの愛と哀しみが全編に満ち溢れているのと並行して、対比するように書かれた妻のイーディスの愛と哀しみも行間に押し込められているのだ。向き合うことも同じ方向を見ることもなかった、そんな二人の最後までつづくすれ違いは、苦しくて静かに痛い。

 上に引いた、ストーナーが中年になってからの恋愛観を読むと、ストーナーの来し方行く末が垣間みえる。平凡だけれど波の多かったストーナーの人生のなかでも、特に大きめの波がきた時期であった。この波によってストーナーの人生は変わる。この変化がなければ、晩年の物語は辛くて哀しくて読みつづけるのがしんどくなっていただろうと想像する。誰の人生にも、きっと波はある。転向、非転向をくり返すその波のどこに反応するのかが、その人の生き方のカギになっていくのだろう。

 思い描いたような人生にはならなかったけれど、ストーナーの人生は決して不幸ではなかったはずだとおもう。むしろ、幸せな人生だったのではないだろうか。著者のジョン・ウィリアムズがインタビューでも語ってるように、やりたいことをやり、じぶんのしていることにいくらか適性があり、みずからの仕事が重要であるという認識をいくらかでも持てたのだから。そしてなにより、じぶんがどういう人間であったかを覚ることができたのだから。逆に、妻のイーディスがどんな晩年を送ることになるのか、ぼくにはどうにも気になって仕方がない。

 長くて短い人生のなかで、心の底から夢中になって向き合えるような仕事や恋愛と出合えることは、じぶんと向き合うための大きな機会や転機になる。最期にみずからを振り返ってみたとき、そうおもえるような出合いがあったとすれば、それはとても幸せなことなのかもしれない。 

 じぶんを振り返り、みつめる。そういう機会をくれる人生の一冊にまた出合えた。

ストーナー

ストーナー

 

 

理想の生活。

  今朝つくったおかゆの出来が、なかなかよかった。水と火の加減がよかったのかもしれない。うちで食べている福島のお米は冷えてもおいしいのだけれど、おかゆにしてもおいしいことがわかった。これなら体調に関係なく、普段おかゆを食べる習慣はないけれど、また食べたいとおもう。

 一昨日から、ぼくを除いた家族みんなの体調がわるい。お腹の風邪をひいたらしく、あまりものが食べられなくなっている。ぼく自身も絶好調とは言い難いのだけれど、なんとか身の回りの世話をしてやれるくらいには元気だ。家族というのはあまりに日常的すぎていて、こういうときにならないとなかなかありがたみを感じにくい。だから「ありがとう」なんてあらたまっていわれると、なんだかこそばゆい。

 五人が同じ屋根の下で暮らしているにしてはやけに静かな昼下がり、ゆっくり本を読みながら、いつものようにどうでもいいことをくだくだしく考える。

理想家というのは色々と結構なことを並べ立てて、そういうことを言った挙句に実現するのは、そのほんの僅かな一部である。(中略)併し我々が望んでも、とても適えられないことと思って、自分に対しても黙っていたことが、年月がたつとともに次第に自分の方に近づいて来るということはある。知らずに努力したのか、天から与えらたのか、遥か向こうにあったものが、いつの間にか自分とともにあることに気が附く。これが理想である。(「理想」/吉田健一 著『甘酸っぱい味』2011年12月 ちくま学芸文庫)

  大威張りで人に語れるような夢も理想も、ぼくにはなにもなかった。酒を飲んだり、本を読んだり、音楽を聴いたりしながら愉しくのんびり暮らしていくことができればそれでいいとおもっていた。いや、今だってそうおもっている。そのためには仕事をしなければならない。のんびり暮らすための生活をつくり、それを維持していくためには食い扶持が必要になる。仕事は食うためにするものであって、それ以上のなにものでもない。しかし、食うためだけにする仕事はつまらない。だんだんと嫌になってくる。ぼくの場合、嫌なまま仕事をしていると、仕事を終えてからの酒が不味くなる。本を読む意欲もなくなり、音楽が虚しく聴こえる。

 ある時期、ふと仕事のなかに愉しさをつくってみてはどうかとおもうようになった。じぶんの好きなことや得意なことを活かせる仕組みをつくって夢中で愉しんだ。今にしておもえば、それが許される職場であったことが大きい。そのうちに、いろんなことが見えてくるようになり、じぶんのやっていることに後付けの意義が生まれた。意義を得ると、仕事はもっと愉しくなる。愉しくなると、また別のものが見えてくる。見つけたものをより深く知るために、読む本の傾向も変わる。聴く音楽まで変わる。気がつくと、じぶんの生き方まで変わりはじめていた。それが理想と呼べるものなのかどうか分からないけれど、そうあってほしいと心から願うものが、じぶんのなかに生まれた。

 上に引いた吉田健一の言葉にもあるように、知らずに努力したのか、天から与えらたのか、遥か向こうにあったものが、いつの間にか自分とともにあるということは、確かにある。まだ実現とは程遠く、そのほんの僅かでさえも叶ってはいないけれど。じぶんの実行力のなさに時折り打ちのめされながらも、酒が旨くて読書の充実した暮らしはなんとか維持できている。

仕事をしていれば、自分に出来ることの限界も解って来る筈である。つまり、したいことは何でも皆してしまって、後は暇潰しにビヤホールにでも出掛けていくという境地、そこまで辿り着きたいので仕事をしているのだと、時々思うことがある。(「生きて行くことと仕事」/吉田健一 著『甘酸っぱい味』2011年12月 ちくま学芸文庫)  

  先日、大好きなひとたちと高円寺のペリカン時代で酒を酌み交わした。心が折れそうになっていたあの頃の話から理想の話まで、退屈な演説を延々と聞かせてしまったのではないかと、思い出してはひとり赤面してしまう。いつになく調子にのってしまうくらい居心地がよかったのだ。ペリカン時代も、あそこに集まるひとたちも、心地よい。ああ、そうか、ぼくの理想としている「ちいさなつなぎの場」ってこういうところだったんだ。今さらながら、目からウロコだった。

 一日もはやく、吉田流の境地に辿り着きたいものだとおもう。

甘酸っぱい味 (ちくま学芸文庫)

甘酸っぱい味 (ちくま学芸文庫)