ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

はじめての地震。

平成23年3月11日、僕は生まれてはじめて『地震』を感じた。
これまでにもたくさんの「揺れ」を感じてきたし、歴史の授業やニュースで見たり聞いたりもした。僕は実際に被災地に行ってのボランティアなんかにも参加してきたので、その存在や怖さは知っている…つもりだった。いや、今だってまだ「つもり」の段階なのかもしれない。それでも、やはり今回の揺れは僕にとって「はじめての地震」であった。


この日は、いつも通りに「あたりまえの毎日」の中で仕事をしていた。すると、グラグラっと揺れがきたので、とりあえず近くにいたおばあちゃんに腰掛けてもらい、その隣に自分も座った。揺れはだんだんと大きくなり、ちょうど遊園地のアトラクションに乗っているような感覚だった。怖さはもちろんのこと、不謹慎だけど妙なドキドキ感もあった。避難経路の確保や危険物の移動などをする余裕もあった。相生の里からみえる近所の建物を見ると、くにゃくにゃと揺れて曲がっている。小さい頃に鉛筆の端っこを持って上下に振り「鉛筆が曲がって見える手品遊び」をしたことを思い出した。そんなことをボンヤリと考えているうちに揺れは納まってきた。冷静になって一番に思ったのは、「家族は無事なのか」ということ。そして、チラッと「本は崩れ落ちていないかな」と思った。チラッと…。


僕は少し遠いところから職場に通っているので、すぐに家族のもとへ駆けつけるのが物理的に難しい。だから心理的に駆けつけることが精一杯となる。とりあえず電話だ。しかし無情にも電話は繋がらない。何度かけても繋がらない。こういう時に電話をかけまくることは、深刻な被害に苦しむ被災地の方々の迷惑になることは百も承知で、かけまくった。生きていてくれさえすればそれでいい。声だけでも聞きたい…。そんな状況のまま、施設で暮らす人たちの安否確認と具体的な被害への対応が始まる。幸いにもケガ人はなかったが、ここで暮らすお年寄りの部屋は滅茶苦茶になっている。とてもお年寄りだけの力では片付けることなどできない。安全装置が作動してエレベーターが停まる。外からなんとか帰ってきた方も階段を利用するしかない。平均年齢80歳以上の方たちが、だ。8階の通所介護サービスを利用するお年寄りは下に降りることができない。車椅子の方や足の不自由な方は、タンカーに乗っていただいたり、スタッフが背負って階段を移動する。百歳になるおじいちゃんは自らの足で階段を懸命に降りた。食事の時間になっても食材を運ぶには階段を使うしかない。いつもなら何でもなかったようなことが、とにかく大変な不便へと変わってしまった。


電車の運行が休止となり、この日は家に帰ることができなくなった。覚悟はしていたがショックだった。家族との連絡が取れないままだったのだ。妻の携帯電話は圏外になってしまっており、やっとの思いで繋がったら「おかけになった電話番号は…」という感情を押し殺したお決まりのフレーズが流れるだけ。近くに住む父にかけてみるも、繋がることは繋がるが電話に出ない。「クソったれ!」声には出さず誰にともなく毒づいた。それでも諦めずに電話をかけ続けると、地震から5時間くらい経って父と連絡が取れた。あまりの嬉しさに跳び上がった。僕は父の無事が確認できたことを喜んでから、依然として連絡が取れない妻と子の様子を見に行ってほしいと父に頼んだ。それから一時間くらいして父から連絡が入り、「みんな元気にやっているので何も心配ない」という言葉を聞いた時、ホッとして椅子から身体が崩れ落ちそうになった。さらにその30分後には妻ともようやく連絡が取れた。妻のその声を聞いた瞬間には、いろいろな想いが駆け巡るも、なに一つ言葉にできなかった。言葉にできない。


「なんでもないようなことが 幸せだったと思う」そんな歌が一昔前に流行ったけれど、本当にその通りだと思う。人は大切なものを失う前に「なにが本当に大切なものなのか」を考えることができる。いや、本当は考えなくても本能的に知っているのではないだろうか。それなのに忘れがちになる。最も大切なものを、うっかり忘れさせてしまうくらいに忙しいのだ。そして、とっても「流されやすい生き物」なんだと思う。人は「なんでもない毎日」という本来なら最も幸せな出来事にどっぷりと埋没し、知らず知らずのうちに流され、「なんでもない毎日」を最も怖ろしいものへと変えてしまう弱さをもっている。


以前、あいおい文庫の機関紙でも紹介したことがあるのだけれど、ノーマ・コーネット・マレックという人の書いた『最後だとわかっていたなら』という詩をもう一度ここに載せておきたい。この詩を心に留めておくことは、流れ行く毎日の中で、しっかりと立ち止まって「大切なもの」を見つめ直すきっかけになり得るような気がする。大切なもの、愛するものは、今すぐに抱きしめなくては意味がない「かけがえのないもの」なのだということを、僕はこれからも意識して生きていきたい。


『最後だとわかっていたなら』 


あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう


あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう


あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう


確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている


「あなたを愛してる」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる


でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい


そして私達は 忘れないようにしたい


若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを


明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから


微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと


だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう


「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


最後になってしまったけれど、被災地で懸命に生き抜く人々へエールとお金を送ります。どうか希望をもって顔晴ってください。


最後だとわかっていたなら

最後だとわかっていたなら