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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

父親。

うちには子どもが三人いる。
どの子も同じくらいかわいくて、大切な存在だ。
池澤夏樹さんの言葉を借りれば、子どもというのは「授かりもの」ではなく「預かりもの」であり、ある時期が来るまで大切にお預かりをして、世に返さなくてはならない存在。一人前になるまではどんなことがあっても守り抜かねばならないのだ。


子どもが生まれてくる時、感無量のあまり泪が零れ落ちるのを堪えられなかった。
三回が三回とも、だ。
子どもが生まれてくるというのは、つまりはそういうことなのである。
この子のためなら、いつ死んだっていいと本気で思った。
今だって、必要なら惜しまずこの身を投げ出すつもりだ。
ぼくはワガママな性格だし、自分が一番かわいいと云うタイプのさもしい人間だ。
自分でいうのもなんだけれど、あまり褒められた人間ではない。
そんなぼくでさえも、子どものためなら命なんて惜しくないと本気で思う。
子どもをもつということは、親になるということは、そういうことのようだ。
子どもができると、考え方や生き方も変わる。
あゝいとおしい。


嘉村礒多の小説に「孤独」という小品がある。子どもが生まれた後の男の心象風景を、赤裸々に綴った私小説の極北である。地味だが繊細でいい小説だ。

業苦・崖の下 (講談社文芸文庫)

業苦・崖の下 (講談社文芸文庫)

主人公である男は、とにかく情けない。駄目人間の見本のような男だ。
父親になりきれず、亭主にもなりきれない。この男に居場所はない。
生まれたばかりの子どもに妻を盗られたと感じ、性欲を持て余しては八つ当たりをする。
淋しい自分の心境をアピールするために、日常の中でいじらしく演じて見せたりもする。
そんな情けない男も、母堂に促されて我が子を初めて抱っこする。
すると、男はなんとなく自分の中で何かが変わっていくのを感じるのだ。
自分の中にあった父親としての愛情に気づく。
男の中に父親というものが芽生えはじめた瞬間である。
じゃあ、芽生えたら父親になれるのかというと…


ある時とつぜん、ぼくは気がついたら父親になっていた。
子が生まれることと、父親になることは、イコールではないと思う。
気がついたら、ある日とつぜん父親になっているのだ。
ぼくの場合はそうだった。
自覚?
本当にぼくは父親になれているのだろうか。
果たしてよい父親というものになれるのだろうか。
そもそも父親とはなんなのだろうか。
ぼくの父は、いつ父親になったのだろう。


こんど父と酒を呑むときは、そんなことを話してみようと思う。