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ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

漂着する場所。

《わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。》


これは、「わたしを離さないで(Never Let Me Go)/カズオ・イシグロ 著」という小説の中の最後のシーン。いつまでも心に深く残る印象的な文章だ。
カズオ・イシグロの作品は、どれもとてもいい。新しい作品が出るのを心待ちにしている大好きな書き手だ。ぼくはすべての作品の単行本と文庫本をきちんと並べて本棚に置いているし、いつでも持って歩けるように1〜2冊余分に買って持っている。そのくらい好きなのだ。本当にどの作品も魅力的で甲乙つけがたいのだが、もっとも多く読み返している作品という意味では、この「わたしを離さないで」が一番だ。

わたしを離さないで

わたしを離さないで

冒頭で引用した一節がなぜそれほどぼくの印象に残っているのかと云えば、この物語のもっとも大切な着地点であるということだけでなく、これとまったく同じことを幼い頃のぼくも想像していたことがあったからなのである。
まだうんと小さな頃、ぼくは空想の世界で遊ぶことが好きだった。寝ているときも、ひとの中にいるときも、歩いているときも、まるでクセのように物語をこしらえては空想の世界でぼんやりと一人遊んでいた。少年から青年になると、本を読んでいても行間から余白へと意識が移り、やがては紙から離れて空想の世界のみに漂い、はっと気づいて文字を追うなんてこともよくあった。なんだか淋しい感じがするかもしれないが、いつも楽しかったし、とにかく暇をもてあますということがなかった。


この世のどこかに、失くしたものの漂着する場所があるとずっと思っていた。
その場所に行けば、失くしたものに必ずまた会えると本気で信じていた。
だから、切なかったり、淋しかったり、苦しかったりすることがあっても、最後にはいつも笑顔でいることができた。大人になってからはあまり意識したことがなかったけれど、「わたしを離さないで」をはじめて読んだとき、「やっぱりあったんだ」と泪が零れるくらいに嬉しかった。たとえそれが小説の中の想像であったとしても、自分と同じように考えて物語にしてくれる人がいてくれたんだと思うと嬉しかった。


その場所は本当にあるような気がする。


本気でまた会いたいと願うのであれば、いつか辿り着くことのできる場所。


でも、失くしたものは、失くしたままにしておくほうがいいのかもしれない……


近頃は、そんなふうに思う。