病牀六尺。
ひょんでまぬけなことから骨折し、簡単な手術をするために数日間の入院をすることとなった。ケガの方はぜんぜん大したことないのだけれど、こんなふうに入院して病牀から物事を考えてみることなんてあまりないので記しておこう…と思う。
《病牀六尺、これがわが世界である。しかもこの六尺の病牀が余には広過ぎるのである。僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。甚しい時は極端の苦痛に苦しめられて五分も一寸も体の動けない事がある。苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、それでも生きて居ればいいたい事はいいたいもので、毎日見るものは新聞雑誌に限って居れど、それさえ読めないで苦しんで居る時も多いが、読めば腹の立つ事、癪にさわる事、たまには何となく嬉しくて為に病苦を忘るる様な事が無いでもない。年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寝て居た病人の感じは先ずこんなものですと前置きしてー(「病牀六尺」正岡子規 著)》
- 作者: 正岡子規
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1984/07/16
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上に引いた「病牀六尺」は、子規が死の直前まで執筆し続けた名著である。最期まで痛みや恐怖と戦いつつも、生に対する意欲を失わず、絵画や文芸に思いを馳せる姿は逆に生き生きとしていて眩しいくらいの光すら感じる。
ぼくのような、ぜんぜん大したことのない手術入院くらいで「病牀六尺」を引くなんて恐れ多いのだけれど、入院用に厳選して持ってきた七冊の本(例のごとく、この七冊を選ぶのに一日かかった)の中に「病牀六尺」を入れたことも何かのお導き(?)だろうし、とりあえず二日目を病牀で迎えてみて思うところあったのであえて引かせていただいた。
病牀に在ると
世界が狭いどころか途轍もなく広く
広大で瑣末な事柄に思いを馳せる
すべてのおとが近しく感じられ
蝉のおとがもう懐かしい
すべてが煩わしく
そしてありがたい
五感は研ぎ澄まされ
よりぼんやりとする
夜は黒が息を潜め
ここから見える空は
ぎっしりとした空っぽ
叙事でも叙情でもなく
ただぼんやりと