ハチドリのとまる場所。

大好きな本のこととか日々の考えなど、あれこれ。

日々の考え。

読み書きのこと。(二)

ぼくは「話す」ということが苦手だ。誰かにこれを伝えたい、と思うことは多々あるのだけれど、それを話して伝えるとなるとたちまち萎んでしまう。 話すことで言葉を放してしまうと、放された言葉たちがカタチにならずに空中を彷徨っているイメージが頭に浮か…

読み書きのこと。

このブログを書きはじめて、ちょうど2年になる。 何事においても飽きっぽいはずの自分が2年間もこうして続けられているというのは、やっぱり好きだからなのだろうとおもう。読むこと、書くこと、それらが目に見えるカタチでたまっていくということが。読み…

再会と再生。

一方的な身勝手さで10年以上連絡をとっていなかった親友と再会した。 そのきっかけは途轍もなく切ないものだったのだけれど、しかしそうでなければ再会はなかったかもしれないとも思い、筆紙に尽くし難い複雑な心もちになる。 正直なところ、10年という…

本の皮むき。

ついこのあいだの話。 皮むいてから読むの、といって娘は本のカバーを次々に外し、片っぱしから本をまるはだかにする。購入した本の表紙に書店がかけてくれるカバーのことを書皮と呼ぶのだから、皮をむくという表現もあながち間違いではないのだろうけれど、…

古本と金沢。

一泊二日の出張で、金沢に行ってきた。前日入りしての旅なので、夕方からの吞み会までたっぷり半日はフリーな時間がある。せっかく金沢に行くなら、これはあそこに行くしかない。金沢といえば、あそこ。一人ひそやかに笑いながら、旅のおとも本をえらぶ。さ…

冬がキライなわけ。

冬はキライだ。ろくなことがない。 読書の秋とか食欲の秋とかいうけれど、秋から冬にかわったばかりのこの時期も、まだまだ身体は書物と食物を欲している。読んでも、読んでも、読みたりない。がしがし読んでも読みたりない。ちゃんと食べているのに、ちゃん…

友人と猫と写真。

猫はあまり好きではない、どちらかといえば敬遠したい、ずっとそんなふうにおもっていた。うっかり化けて出られたらたまらないし、できるだけ遠巻きに暮らしたいと。幼い頃からそうおもっていたにもかかわらず、いつのまにか猫もわるくないなとおもうように…

偶然の結びつき。

人がなにかを選ぶとき、その過程の中で“偶然”に出合ったり激しくぶっつかったりして、なにか目に見えない強引なチカラに巻き込まれるようにして決まってしまうことがある。たとえばアメリカの作家で詩人のポール・オースターの場合、おもわず口元が綻んでし…

本を読む理由。

先日、本をつくる仕事をしている人たちとお酒を飲んでいて、なんで本なんか読むのか、というような話になってそこそこ盛り上がった。 それはもちろん本が好きだからに決まっているのだけれど、このあいだもこのブログに書いたように、本を読むとき、ぼくはも…

モノに宿るココロ。

子どもが三人生まれ家族は五人となり、今のままではキュウクツになってきたので、クルマを買い換えることにした。さっそくクルマ屋さんへ行き、クルマの性能や価格のことなどについて丁寧に話を聞き、ずいぶんと時間はかかったのだけれど大体の目星がついた…

道標。

昨日から一泊だけして、おばあちゃんは帰っていった。 おばあちゃんと孫の一般的な関係の在り方というものがどんなものなのかよく分らないのだけれど、ぼくがおばあちゃん子であることを差し引いても、かなり特殊な関係にぼくらはあると思う。単純なルーツと…

溺れる虫。

むかし、ぼくは客のいない喫茶店を選んでよく通っていた。 客がいないというだけで、安くて不味いコーヒーがひどくうまく感じられた。よくわかりもしないのにJAZZを聴いたり、誰にも邪魔されず読書に集中できるのがよかった。そんな喫茶店の定位置で、買った…

iPadで古川緑波を読む。

一週間に一回以上は更新したいと思っているのだけれど、さして忙しいわけでもないのにバタバタしており、はたまたキモチがのってこなかったりで、ここのところブログの更新ができていない。ブログだけでなく、本と酒と家族のこと以外にあまりキモチが入らな…

年寄りの冷や水。

「年寄りの冷や水」ということわざがあるけれど、正確にその意味を云えるだろうか? 故事ことわざ辞典で調べてみると、以下のように書かれている。 ≪年寄りが強がって冷たい水を浴びたり飲んだりして無理をする言動。自分の年齢も考えずに無茶をすることは健…

生きたい。

被災された方の手記をくり返し毎日読んでいる。ウェブで見るのも、2011年3月11日に起こった「日常」から「非日常」に変わっていく様ばかりだ。 原発や震災そのものについては、少し切り離して考えるようにしている。これらが切り離された問題だからと…

ココロをつかうオシゴト。

今年6歳になる娘が、ある日ぼくに向かってこんなことを言った。 「パパは、ココロをつかうオシゴトをしているんでしょ?」 ドキッとした。どこで「ココロをつかう」という言葉を覚えたのだろう。いやそんなことよりも、まだ幼い娘がぼくの仕事のことを「コ…

立ち止まって考える。

あれから10ヶ月。 あと2ヶ月で1年になる。 それがなにを意味するのか、ぼくにはよく分っていない。 時の経つのは速いのか、それともゆっくりなのか。 それすらもよく分らない。 それがなぜなのか言葉にできないのだけれど、 ここのところなんとなく不安…

冬のにほひ。

ストーブを買った。 寒さには強いほうなので、オイルヒーターで幾冬も越してきたのだけれど。 ストーブの燃料はやっぱり灯油に限る。 地震やコストや健康のことなどを考えれば時代遅れなのかもしれない。 だけど、あの灯油の燃える匂いをかぐと「今年も冬が…

避けたい話。

またまたちょっとお堅いはなし。 この国では、死を語ることは不吉なことと忌み嫌われ、禁句とされがちであった。 特に介護の現場やお年寄りとの会話では尚更である。ひょっとしたら、もうすでにこの文章そのものが忌避されているかもしれない。それでも敢え…

本の重さは安心の重さ。

ぼくは、前日の夜に翌日読むための本を選んで鞄に入れておくということを日課にしている。どんな本が明日の自分にぴったりなのかと想像しては胸を高鳴らせている。ところが、本を読むのにも「その日の調子」や「その時の傾向」みたいなものがあって、翌朝に…

あの頃。

薄暗い毎日にも、だいぶん慣れてきた。 いや、むしろ今の薄暗い毎日のほうが心地好いとさえ感じる。 雑誌のコラムなどを読んでいても、3・11以降の暗い生活について書かれたものはかなり多い。人生の先輩方は、この暗さが懐かしいらしい。ぼくの物心がつ…

こわい話。

昨日、ものすごく怖い思いをした。心の底から怖かった。しばらくの間、小さく震え続けたくらい怖かった。どんなに怖いかというと… 仕事帰り、いつものように電車に乗った。座席がいっぱいだったので、ぼくは吊り革を掴んで立ったまま本を読みはじめた。 次の…

「看取る」ということ。

これは、一年くらい前に「相生の里」で暮らしていたおばあちゃんと、ここで働くぼくたちスタッフのやり取りを、読みものとしてまとめたものです。 施設で暮らすということ、人が最期を迎えるということ、家族が看取るということ、そんなことを意識しながら書…

至福のとき。

僕にとっての「至福のとき」とは、「本を読む」そのときだ。 楽しいことや好きなことはいっぱいある。 子どもとの時間、妻と二人きりの時間、友人や仲間との時間、呑み会をしているとき、ひとりで呑んでいるとき、仕事が絶好調に捗っているとき、野球をして…

本と酒と僕。

先日、深川の「しまぶっく」さんでリトルプレス『本と酒と俺』を買った。山田稔さんの本を持ってレジに立った時に見つけ、衝動的に手に取った。でも、本も酒も好きな僕にとっては衝動買いというよりは必然的な買い物だったといえる。2010年10月発行とあるの…

辞書のはなし。

先日、あいおい文庫に「広辞苑」の寄贈がありまして…今回は「辞書」のはなし。 僕は、『角川 国語辞典』(昭和44年初版)を長らく愛用している。 コイツは辞書ながらも凛としていて、「黒っぽい本」としての貫禄までもち合わせている。なぜか「日本文学史…